セカイカメラとかiPhoneとか裸男とか


セカイカメラ
iPhoneでの面白い試み「セカイカメラ」。

世界をクリッカブルにするオープンプラットフォーム 「セカイカメラ」
このエントリーを読んで「電脳メガネやんっ?!」とついつい突っ込む関西人な自分。

電脳メガネ(wiki電脳コイル」より)
眼鏡型のヘッドマウントディスプレイ一体型ウェラブルコンピューター。
作中ではしばしば「メガネ」と呼ばれる。
これを装着してログインすると電脳物質を視認することができる。
つまり現実世界と電脳世界が交じり合った拡張現実を体験することができる。

と思ったらこんな対談があった。
電脳コイル・磯監督とセカイカメラ・井口代表が語る、新しい現実
こういう「新しい可能性」を示してくれるからiPhoneが好きだ。
普通のガラパゴスな携帯ユーザーではこういった楽しみは味わえない。


iPhoneが嫌いだと言う前に】
なんか今更ですが、未だにiPhoneが嫌いだとか、流行らない理由だとか言う記事を書いてるのを読んだりして(あえてリンクは張らないが)....。
もう色んなところで賛否書かれているから書かなくて良いかと思いつつも。

そーいう事じゃないでしょう、と。
デフォルト機能を指して「その程度の機能なら他の端末でも可能だ」とか言う勘違いを生む。
タッチパネルを指して「携帯電話にタッチパネルは必要無い」と言う。


iPhoneの革新性はその拡張性の広さにあるし、対応するアプリの豊富さにあると言って良い。
タッチパネル方式はハード的な制約を受けずアプリを生み出す事が出来るし、アプリによって操作パネルにもなれば、楽器にもなり、ゲーム画面にもなる。
上記のセカイカメラなんてその自由度を示す良い例だろう。

「メール」や「カメラ」「電話」という機能はiPhoneのいうハードの中のアプリの1つであって、iPhoneは「メール」や「カメラ」「電話」に特化して作られていない。
無い機能はこれからアプリが作られるかも知れないし、対応するかも知れない。
既存の機能だってこれからはもっと強化されるかも知れない。
端末が「ユーザーの選択によりカスタマイズされ、拡張し成長する可能性を持っている」のがiPhoneだと思う。

だからiPhone携帯電話というジャンルで語るiPhoneを嫌う人と、iPhoneユーザーの感覚の間の溝は埋まらない。
実際にiPhoneを使ってみて「これは携帯電話だ」と思って使っている人は少ないだろうし、もしそういう人がいたらiPhoneを使い込む前に携帯電話としての機能の低さに手放しているだろう。


http://www.kotono8.com/2006/10/25mobile.html
こーいうのはなかなか興味深い。


http://d.hatena.ne.jp/qt_fb/20090424
iPhoneのカメラについて。


http://blogs.itmedia.co.jp/speedfeed/2009/03/iphone-dc01.html
あぁ、コメント欄が活発だ。
ただ、

「PCで使えるWebとほぼ同等(場合によってはそれ以上)のWebを、場所や時間に関係なく利用することができることの素晴らしさを、形にしてくれたのはまぎれもなくiPhoneだ」

って部分は首肯しかねる。
Webだけで語れば他のスマートフォンでも充分に事は足りる。
自由度の高さこそがiPhoneの革新性だと思う。


でも自由と言いながらもappleという制限があるからイヤだとか、タッチパネルが生理的に受け付けないとか、winじゃなきゃイヤだとか、ソフトバンクはイヤだ(iPhoneに対する批判ですらない)とか、触ってるとニヤつくスティーブ・ジョブズの顔がちらつくとか言う人は、各社スマートフォンで良いんじゃないでしょうか。
そーいう人は、話してる次元が上記とはまた違う気がする。


で、またどこかで誰かが非難し、誰かが賛辞する。


【クサナギ ツヨシ】
酒飲んで暴れた一件は....もうどうでも良い。
同情もしないし、自業自得なんだし。
ワイドショーはヘリを出して公園を空撮するわ、ミニチュアセットを作って経過を説明するわ。
騒ぎ過ぎててバカバカしい。
好きな人は擁護すれば良いし、嫌いな人は非難すれば良い。
中庸でありたい自分は話題に出ても「へぇ、そう」と無関心な振りをするし「裸になって何が悪い」なんて趣味の悪いTシャツは絶対買わない。