THE NIGHT OF THE GENERALS/将軍たちの夜 1967英


第二次世界大戦下のワルシャワで起きた娼婦惨殺事件。
捜査を進める中、犯人はワルシャワに駐屯中のドイツ軍の将軍である事が明らかになる。
容疑のかかる将軍は三人。
捜査の進む中、戦火は加速度を増しヒトラー暗殺計画と共に物語は進行する。


笠井潔が「探偵小説論」の中で語った大量死と死というのがある。
大まかに言うと「戦争による大量殺人によって人間1つ1つの死の価値が極めて無価値なものに引き下げられてしまった。探偵小説は「個別の死」を特別なものとして採り上げる事で個人の死の価値(生の価値)を取り返そうとする試みだ」といったような内容だった。。


この映画では大量に人が殺され人が死ぬのが日常である戦争の最中「将軍」という軍隊という集団で特別に価値のある人物が「娼婦」という社会の底辺の人間を殺す。
誰も本気で取り合わないような殺人事件をオマー・シャリフ扮する情報部のグラウ少佐はあくまでも「誰であろうがどんな状況であろうが殺人は殺人である」と信念を持って犯人を追いつめて行く。人の命に貴賓の差は無い。
大量に人が死ぬからと言って1つの死がおざなりにされて良い理由は無い。
確かにそれは正論なんだけれども、世界は狂気が正常で、正気が異常な特別な時代。
道ばたではレジスタンスがドイツ軍によって撃ち殺され、家が焼き払われ砲撃を受ける中、殺人事件を追う。
戦争をする軍属が正しく、娼婦殺人事件を必死で捜査するグラウ少佐の存在こそが異端として描かれる。


【この辺からネタバレ気味で書き始めるので以下、自己責任】


ピーター・オトゥールオマー・シャリフと言えばやっぱり「アラビアのロレンス」を思い出す。
アラビアのロレンス」では徐々に戦争の狂気に飲み込まれて行くロレンスを演じたピーター・オトゥールがこの作品では冷徹に作戦を進行する将軍を演じる。
アラビアのロレンス」でも列車の上でくるくるダンスのように回るシーンが印象的だったけど。
自分の姿を鏡で見たように、片耳を切り落としたゴッホの自画像に釘付けになり、自身の狂気に酒に逃避するその演技はさすが。
実に名優。。静かに、人間性の「ずれ」を表現して見せる。
オマー・シャリフはメイクがスゴいんだけども。
エジプト出身でドイツ人を演じてるんだからかなり無理があるって言えば無理がある。
最終的に真相に迫ったオマー・シャリフは狂気と混沌に飲み込まれてしまうが、やがて戦争は終わり世界は正気を取り戻す。


こってりした豪華出演者。
ドナルド・プレザンスは相変わらず「居るだけで怪しい」得なキャラクター。
ロンメル将軍役のちょい役にクリストファー・プラマー、007シリーズに出てたチャールズ・グレイも出演。
個人的にチャールズ・グレイというとテレビドラマ版「シャーロック・ホームズの冒険」のマイクロフト・ホームズ(ホームズの兄)役の印象が強い。
脇役と言うには個性派揃いで、誰が犯人でもおかしく無いキャスティング。


「将軍」と「娼婦」
「将軍」と「兵隊」
「大量死」と「特別な死」
「狂気」と「正気」
「戦中」と「戦後」
「かつて将軍だった男」と「かつて兵士だった男」
「犯人」と「目撃者」
その二重構造によって構成される物語。
探偵は犯人を追いつめるが銃殺される。
探偵小説で言えばここが見せ場の筈なのに、その名推理を大して披露するまでもなく探偵はあっさりと殺される。
アンチミステリともとれるこのシーンは、「戦争」という混沌が支配しそれこそが正当で、やはり「娼婦の死」と同じく「名探偵の死」も無価値。
ヒトラー暗殺未遂事件」ワルキューレに絡めた反逆者として処理され、将軍の狂気こそが正しい。


やがて戦争は終わる。
終戦を迎え、戦犯として投獄されていた将軍が獄から放たれる。
最後、再び名探偵に追いつめられた将軍が自ら命を絶つのは「戦中の命の無価値」と同じく「無価値」なものとして処理したかったからだろう。
戦争の最中に正当化された「狂気」は、終戦を迎え「狂気」は正当化されることは無い。
「将軍」はもはや将軍ではない。
人の命に貴賓の差は無い。