ZEN BOUND

zenbound

iPhoneに入れた「ZenBound」が面白い。


ゲームの内容は簡単。
浮かんでいる木の彫像に打ち付けられた釘。
そこに縛り付けられた一本の縄。
プレイヤーは彫像を動かして縄を縛り付けて行く。するとキツく縛り付けられる縄に乙女の白い柔肌が赤く染まるがごとく、彫像の肌に色が染みて来る。
縄を縛り付け続け彫像を一色に染めて行き、彫像にもう一本打ち付けられた釘に縄を縛り付けて終了。
勿論ゲームとしては「彫像の表面を何%染める事が出来るか?」という目標がある訳なんだけども、それよりもその「縛り付ける」という単純な行為が実に魅力的に作られている。

iPhoneでのゲームという「タッチパネル」を使った直感的なシステムは、コントローラーを使った一般のゲーム機よりも直感的な操作感をユーザに与える。しかし多くのiPhoneゲームはあくまでも「操作」としての利用法しかされてなくって、その「直感的な」という部分が生かしきれていなかった様に思う。

例えばタワーディフェンス型のゲームは確かに楽しいし、ユーザーが指をドラッグしてユニットをマップに「置く」事は出来るが、実際のゲームはユニット同士で行われユーザーはそれを眺める事になる。しかし、これだと操作は別に指である必要は無いし、配置はコントローラーやマウスの方が正確な動きを伝える事が出来る。
必ずしもタッチ操作でなければならない、という事はない。

この「ZenBound」ではまるでガラスのコップに浮かんだ彫像を、ガラスの表面を指でこすり、念動力のような力で彫像を動かし操作しているような感覚をユーザーに与える*1
微妙な彫像の角度、巻き付ける時の縄のテンション。
そういった微妙な感覚を指先でパネルをこする事で操作する感覚はマウスやコントローラーでは再現し得ない。
感覚的で直感的なタッチパネルの操作ならでは、と言える。

キリキリと軋みを上げる縄音、アンビエントなBGM。
クリアした後も彫像をクルクル回して自分の緊縛っぷりを眺め「無駄な縄の渡り方」に美学を感じたりする。
フラグを立てクエストをこなし、レベルを上げる。
そういうゲームも楽しいけども、こういう「自分がゲームを行った過程/いかに効率よく巻き付けたか、またはいかに無駄に巻き付けたか」を改めて眺める楽しみ方は、名前に「禅」と付くだけあって、精神修養みたいな雰囲気もある。

そういえば昔、岩井俊二が監督、山口智子豊川悦司出演の「undo」って映画があって、なんでもかんでも縛りたくなってしまう「強迫性緊縛症」の女性の話だったなぁ、とふと思い出した。映画としては今ひとつな作品だったが。

*1:だからもどかしさもある。