青【オールー】/羽生生純 2002〜05


青(オールー) (第1集) (ビームコミックス)/羽生生純


弾丸が一杯装填された44口径
すっかり青ざめた顔
虚ろな眼差し/刺々しい視線
輪の上でルーレットの玉は一人で回っている
炎に満ちた心と一握りの鋼鉄

【FISTFUL OF STEEL:Rage Against The Machine1992】



ブチキレた人々のブチキレた物語。

 漫画家差能構造は『オルタナトス』という漫画を大ヒットさせ、そしてその一作で沖縄の与名島に隠遁してしまう。編集者安対武は差能構造に執筆依頼をする為沖縄を訪れるが、あっさり断られる。
その話の最中呑んでいたクラブで、ヤクザに絡まれた二人は組事務所に連れて行かれ、そこで二人はヤクザの抗争に遭遇する。

扉を開けて跳び込んで来るヒットマン。構える拳銃から放たれる二発の銃弾。一つの銃弾は一人のヤクザの肩を貫通し、もう一つの弾丸は一人の頭を撃ち抜く。
そしてもう一つの銃から放たれた弾丸はヒットマンの頭を撃ち抜いた。
未だ煙を吐く銃を握るのは差能構造。
彼は失禁しながら銃を撃った,人を殺した快感に、歓喜に震えていた。

印税で稼いだ金を使ってヤクザになる事を決意する差能構造、巻き込まれる安対。金を積み組長にヤクザになれるように志願し、ヒットマンになりたいと希望する差能。二人は敵対する組長を暗殺する為に銃を片手に乗り込む....。



過去作に見られるコメディ色の強い感じよりも、それまで作中に散在していた羽生生の『狂気』を純化して詰め込んだ様な、筆圧がガリガリと聞こえて来るような力の入り具合。
恋の門』よりも遥かに難解ではあるけども、面白い。


物語冒頭部、立ち上がりからして良い。
いきなり全裸で沖縄のあばら屋に一人で居る差能、ってカットから凄い。
後ろから見た尻ナメの股間のふぐりまで書き込む細やかさ。筆圧の強い輪郭線はコマ以外は全部フリーハンド。
だから有機的で生々しい。
同じショットを別の角度から撮る技法が多用されるんだけども、流れを滞留させるには良い手法。
一つのページに於けるコマの数によって時間の流れ、というかテンポ(時制)を操るのは常套手段だけれども一瞬を数カットかけて書く事によってスローモーションにしてみたり、速度の欲しいところは大雑把でざっくりと書き上げたりもする。
各コマの角度の多才さ、突然魚眼レンズっぽく歪めてみたり、松本大洋なんかが使う手法で。
ただ一巻のヒットマンの襲撃シーンのコマとか結構難解な時系列で並んでたりはするけど....床を転がる銃のコマは左下の方が良いんじゃないかなぁ。
あれだと撃たれる前に床に銃が転がっているように見える。しかし多才な漫画手法は見所も多い。


..などと細かく書いてると(全五巻分もあるので)さすがに書ききれない。
トーンを殆ど使わず(多少は使っている)ペンでガリガリと描かれた版画の様な画は松本大洋とか、初期の黒田硫黄とか,新井英樹とかと同じく、暑苦しかったり独特の絵柄で癖が強くって、情報量的にも多いし、ジャンプみたいな少年向け漫画雑誌の連載みたくキャッチーでも無いし、かなり読者を選ぶんだと思う。


が、画を好き嫌いせず内容で読めば面白いし、ジャンクフードみたいな漫画より余程読む意味はあるし、一読すればそのシーンの切り取り方のセンスや技法の面白さ,とか伝わると思う。

 

 
足りない 足りない
これはオナニーだ



まずは差能にとっての『銃』。
これは言わずもがな『セクシャル』な行為の象徴になっている。
差能が拳銃を発射する度に失禁するのは『発射』が『射精』とすり替わっているからで、その『代謝的な発射行為=自慰』に満足している差能はだからこそインポテンツで、肉体的な快楽を伴うセックスで性器は勃たない。

銃弾を相手に撃ち込む、と言うのは『相手に向けて発射する/ぶち込む』と言う意味でセックスにも類似するんだけども、この差能の行為の場合、己の快楽のみしか無く相手の痛みや存在は介在しない。
差能自身は『銃の練習=オナニー』であって、対象がいる行為は別物、と思っているらしいが結局のところ全て自慰に過ぎない。
『射精の代謝行為』である『銃撃』は差能にとっては『自慰行為』だからこそ何度でも脳内で巻き戻して繰り返し快楽の余韻にふける事が出来るし、ドラッグにも似て次の『発射行為』を求める。
差能と言うキャラクターは『漫画家』であって、作家で『自己の世界』が『現実世界』よりも比重が大きい。
つまりは『妄想力が強い』とでも言う事になるか。
早い話が『電波男』な訳だ。
だからこそ後半の様な展開になって行くんだけども。


やっと差能さんと私のすべてが ひとつになれた
もう私 前に進める


さて、この作品は『差能と区々の物語』の様に一見読める。
しかし正確には『差能の物語』と『区々の物語』とは同一ではないというのが正確なんだと思う。

区々は自分にとっての『青い神』を探していてそれは差能だった。

しかし最終的に差能と結ばれてしまった次点で区々は去ってしまう。
それはつまり区々が求めていたのは『現実世界の血肉のある差能』では無くって『己の中の青い神としての差能』であって、だからこそ差能が勃起しセックスに及び、射精され区々の中に『差能の種子/弾』が打ち込まれ、一つになったと言う事で己の胎内に『差能=青い神』が宿り、現実世界の差能はその価値を失う。
これから類推すれば、区々もまた差能と同じく極端な程のエゴイストで『己』の世界の中の基準でしか動けない、と言うキャラなんでしょう。
ヒトらしく、ヒトとして生きるヒト。

だからこそ暗喩的に失明し『外部世界から孤立する』と言う状況も発生するし、それでも動揺が少ない。
この失明すると言うのは深読みすれば柳田國男翁の言うところの民族学的な『身体の欠落=神への生け贄』の暗喩かな、と言う気もする。


これは俺の物語だ
敵なんてみんなやっつけてやる


差能は自殺志願者であり、最終的に『自己世界』を現実世界と同一化したい、と言う願望に目覚める。

差能は四巻の段階で線子の問いによって『銃を撃つ行為が何も産まないオナニーでしかない』と言う事に直面させられ、魂が縮み、欠落したところに銃弾を撃ち込まれ例の『果実』が登場する。銃弾が種子となり差能の胸から映えた『果実』。

んでこの果実の解釈なんだけども、これは『差能の内部の虚構の物語』の結晶化、なんでしょう。

そしてその『果実』は他人の憎しみを持って成長する、と差能は思っている。
バイオレンスと憎悪に満ちた差能の中の果実
差能の最終的な目的は『憎しみを込めた人間の銃弾による己の死』であって、その『妄想世界』を現実に浸食させようと言う行為は、世間一般で日常的に行われる『少年犯罪』に類似する(チルというのはそういう部分を集めた暗喩的なキャラだし。酒鬼薔薇の『バモイドオキ神』を思わせる様な粘土細工とかね) 。

しかし実際は『己の中の物語』はどのようにでも成長する筈であって、だからこそ区々と結ばれた時に『現実世界の愛』に突然目覚めてしまった差能は果実の為の憎しみを必要とせず『ネーム通りのバッドエンディング』は必要無くなる。
電車男』みたいな展開を迎えた訳だ。

しかしそこで区々は前述したようにセックスによって『差能の意味性』を喪失し、差能の前から去る。
つまり『引きこもりで自分の中の世界しか見ていなかった差能を、区々が現実世界に引き戻したのに、区々は差能を捨て去る』展開に、差能は現実で置いてけぼりを食らう。
そして差能は、区々を失い、行き場の無くなった現実世界を離れ、再び自己内世界を選択し戻る。

自分しか見えないエゴイスティックで痛みの無い世界。
完全無欠で、妄想だけが支配する自分の中のモラトリアム。
そして現実世界では『差能の果実を育てる為に必要な憎しみ』を満載した『望み通りのバッドエンディング』で自分に向けられた銃弾によって身を引き裂かれて差能は絶命する。
絶命の寸前、バッドエンディングによって育った自分の中の果実を食らう差能。
その味は....。


ムショ ムショ



この物語は『少年犯罪』みたいな『自己世界しか見えないエゴイストの犯罪』に対するアンチテーゼなんじゃないかな、と思う。出て来るキャラは全てことごとく壊れているし、全て自分の方しか向いていない。



素晴らしい時代さ 生きていて幸せだよ
どこへ行っても素晴らしい人ばかり
髪を梳くヤツらの仕草を見ていると俺はこう言いたくなる
お前らにとってはこれが素晴らしい場所なんだろう、と
でも俺はごめんだね

【BEAUTIFUL WORLD:Rage Against The Machine1992】


FISTFUL OF STEEL:RATM


BEAUTIFUL WORLD:RATM