3-IRON/うつせみ 2004韓

世界の終わり来ても僕らは離ればなれじゃない
世界の終わり来てもきっとキミを迎えに行くよ

[夜王子と月の姫/GOING STEADY]


韓国のキム・ギドク監督作品。


台詞の無い主人公がスクーターに乗って家の扉に張り紙をして回る。
後で、張り紙が剥がされていない家に行きピッキングで扉を明け中に入る。
主人公は留守宅で風呂に入り、メシを食い、洗濯をし、宿代代わりのつもりかその家にある壊れた機械を修理して出て行く生活。
それを繰り返す。


そんな中、家に閉じ込められドメスティックバイオレンスに震える女性に出会い、主人公は女性を連れて一緒に生活を始める。
二人の間に会話は無いが、それでも二人の間の空気は徐々に親密なものになって行く。

やがて二人の生活は警察によって引き離される。
女性は夫の元に戻され、主人公は刑務所に入れられてしまう。


ここからがキム・ギドクっぽい。
『春夏秋冬、そして春』『ソマリア』でもそうなんだがキム・ギドク作品には必ず宗教的なモティーフが用いられる。
主人公は牢獄の中で入って来た看守から隠れようとする。
遮蔽物の無い牢獄の中だから最初は簡単に見つかって、警棒でボコボコにされるんだけども、日に日に隠れる手段が上手くなり、しまいには看守の背後に回り、看守がいくら振り向こうが全く視界に主人公を捉えられない状態にまで至る。
『看守の背後に回る事』で看守の感覚の外に出る....つまり『そこに居ながら居ない』方法を身につける。
色即是空空即是色。
そこにある事はそこに無く、そこに無い事はそこにある。
誰にも見えない男を捉えておく事が出来るわけもなく、主人公は脱獄を果たす。


女性も同時期、見ず知らずの他人の家を訪れ、まるで『菩提樹で眠る仏陀』の様な姿で眠る。
女性の事を断るでもなく受け入れ、起こすことすらしない家人。
『招かれざる』筈の赤の他人を『招くともなくまれ来る』事が自然に、そこにそれがある事が自然であるように、川原に転がった石がそこにある事が決められている事のように、ただ『自然にそこにある事』。
流れる水のように。
吹きすさぶ風のように。
すべてはあるがままに。


そして脱獄した主人公は女性の家を訪れる。
もう誰にも主人公の姿を捉える事は出来ない。
「見えた」としても「視る」事は出来ない。
だから女性の夫は、家にいる主人公に気付かない。
気配は察しはするが、主人公は『夫の感覚の背後』に居て、夫は主人公の姿をそこに捉える事が出来ない。
夫こそが女性と主人公二人の世界に存在していないかのように。
そこに居るがそこには居らず、そこに居ないがそこには居る。
現実世界と薄皮一枚ずれた『世界』で愛を交わす二人。

女性の前に夫がいても女性には夫の姿は見えず。
夫は女性を見ても、女性は夫の事を視ない。
そこにいる筈のない、夫には見えない誰かを女性は視て、微笑む。


それは勿論、非現実な『妄想』と捉える事も出来る。
それは勿論、愛ゆえに悟りを開いた二人の物語と捉える事も出来る。

ある時、荘周は自分が蝶になった夢を見る。
蝶として空を飛び、風に乗り、やがて夢が覚める。
それは果たして荘周が夢を見、蝶になっていたのか。
或は蝶が夢を見て荘周になっていたのか。