3月のライオン (2)/羽海野チカ 2008

僕は今
父さんがこがれた棋士の世界に 立っているんじゃないか......

これまた松本大洋の「日本の兄弟」と同じく押し入れから出てきた。
こんなに次のコミックが出るのが待ち遠しいマンガもなかなか無い。
初めて(雑誌で)読む前は「ハチクロ羽海野チカが将棋マンガ?!マジでっ?」って思ったもんだけどふたを開けてみれば実に面白い羽海野流将棋マンガに仕上がってる。
やっぱ上手い人は何を描いても上手いなぁ。。



羽海野チカってヒトは少女マンガの文法を使うし、しかし画法は少年マンガのそれで、背景描写も書き込むしモノローグも多用する。
昔だと吉田秋生「バナナフィッシュ」あたりが走りだと思うのだけれど。
少女マンガの文法って言うのは夏目房之介氏の著書を読めばわかるんだろうけど(自分は読んでませんが..)いわゆる「変形ゴマ」「モノローグの多用」「心理描写/背景の省略」でしょうか。
個人的に少女マンガ文法はあまり好きではないので詳しく無いですが。。。


さて「3月のライオン」について少し書いていきたい。
まずコミックスを横から見た時、まだらになっている。
ページに裁ち切りのコマ構成が多いから、端まで行った画が多くそれがまだらになる。
別に少年マンガ、少女マンガに限った事では無いが作者の嗜好が出る。
裁ち切り=外への開放感と一般にはよく言われるが必ずしもそうでは無いと思う。
例えばこのマンガで言えば別に「外への開放感」や「迫力ある大きな画」を欲していない。
逆に迫力満点の「ハチワンダイバー」は裁ち切りが少ない。
でも迫力も勢いもあるし閉塞感も無い。


Hatena::Diary
p128〜のvs松永(引退直前のおじいちゃん編)について。
調子に乗ってまたお絵描きしてみよう。。


右上裁ち切りのコマから松永翁が入ってきて、そこに桐山のモノローグ「来た!!」「よかった」が入ってる。
ノローグは地に書く事が多く、他のページを見れば四角く別にコマを使ってそこに書いていたり、香子との会話シーンでは黒い吹き出しに書いていたりと「変形吹き出し」手法も見られたりして非常に興味深い。
ここでは線で書かれた吹き出しではなくトーンで囲ったフキダシと言うかなり特殊な事をやっている(右図青線)。
これは将棋の戦いが静かなもので、場面自体が静寂に包まれている中のモノローグ、と言う事でインクの固いラインよりもトーンの柔らかいラインを選んだって事なんでしょう。
心理的な静寂感も同時に表してるかも知れない。
嵐の前の静けさ、戦いの前の平常心。
だからvs松永翁の試合中このフキダシは使用されない。
そして右横、立ち止まった松永翁のコマ(A)が隣り合い、その間に「松永翁が足を止める」「立ち止まった事に気付く桐山」のコマが入っているんだけども変形的なコマの使い方をしていて「足を止める」コマは小さく、コマ2つの中間に浮き、「桐山が気付く」コマは完全にAコマの上に浮いている。
(ただし右上のコマは裁ち切りのため浮き感が少ない)
勿論、読者の視点としては「松永翁入室」→「足を止める」→「桐山気付く」→「立ち止まった松永」の順に移動するんだけれども、最後の「立ち止まった松永」のコマをよく見ると右コマのフレームに境界はない。
ページ全体を通してみるとわかる。
つまりこのページは上段裁ち切りコマAとBがベースにあって他のコマは全て浮きゴマとして書かれてる。
浮いたコマは全て動的な描写で、ベースにされた二コマは静的な描写のシーンが選択されている。
Aコマは桐山を見て「美しい死神」と陶然としている松永翁なんだが桐山の視点からなので何かわからず呆然と(薄ら背景にトーン)立った姿が描かれ、Bコマの桐山は桐山の姿なんだが場面の主体が桐山なのでその立ち止まった松永の姿に心理的な動揺があり、だから周囲の光景が少しぼかして描かれている。
背景は上のコマでは殆ど省略され、下のコマでは左下が地に文章を書くため上半分の背景を省略してあって、この辺りの部分が「少年マンガmeets少女マンガ」な表現技法だったりする。
AコマとBコマの間、上下を分ける線が黒い太線一本なのは時間軸的に同時と言う事を表現している。
1ページ見るだけでも実に面白い。


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この後、始まる棋戦シーンで穴熊でクマを描いてみたり比喩表現ではハチワンと同じなんだが、そこには迫力があるんじゃなく、静的な描写が続く。
柴田ヨクサルが「谷仮面」や「エアマスター」を描き、羽海野チカが「ハチクロ」を描いてきた事を思えばその差は自然。
今作でのストーリーのメインは「桐山」そのものの苦悩や喜びや成長や人生であって、ハチワンのメインは棋戦が暗喩する「熱い戦い」が主眼にある。
羽海野に「アカギ」の鷲巣麻雀*1は描けないし、逆に福本に3月のライオンは描けない。
また描かない。
描きたいものが違う。
三浦建太郎3月のライオンは完コピ出来るかも知れないが(右画像)。。
vs松永戦で言えば棋戦自体は数ページで終了し、その後松永とウナギを食べに行って飲み屋に行って酔っぱらって..と言ったシーンの方が圧倒的に長く、vs安井戦では棋戦は4ページしかなくしかも動的に将棋を指しているシーンは一コマも存在しない。
つまり3月のライオンでの「将棋」はあくまでも「桐山」というキャラクターを構成する一部でしか無く、ハチワンにとっての「将棋」やアカギにとっての「マージャン」はそのマンガのほぼ全て(特にアカギは)だと言うその差が現れているんだと思う。


明と暗がハッキリ描かれているのもウケがいい部分だろう。
明シーンを代表する川本一家とのシーンでは明らかにネームが多いし、暗ではモノローグが多かったりとてもわかりやすい。
緩急明暗が実にはっきりしてる。
抜きのシーンでの地に描いたネーム(特に常に飢えてるネコ)やテンポの良さなどコメディ要素が非常に上手いし、若くって清潔な「悩める少年物語」はハチクロの延長線上。
出て来るキャラクターもそれぞれ魅力的で、崩し方もいちいち巧い。
技法も語り出したらきりがないし、これ一冊本気で語ろうと思ったら本一冊くらいになっちゃうんじゃないだろうかってくらい興味深い部分が多い。
桐山の「悩める」要因も徐々に描かれ、まだ桐山の成長は始まったばかりと言ったところ。
これからまだまだ続きそうですが長いお付き合いになりそうな一作。
今、絶対に読むべきマンガの一つ。


*1:同牌の内、4牌中3牌がクリア製で相手から手が見えると言う変形麻雀。福本伸行の「アカギ」1997年発売の単行本7巻で開始され10年以上連載は続いているものの22巻の現在、まだ決着はついていない