悪夢探偵/2006日



新作「鉄男3」がアナウンスされてる塚本晋也の作品。
http://twitchfilm.net/site/view/tsukamotos-bullet-man-is-actually-tetsuo-3/


難解とか言われてるけど別に難解ではない。
どこが解りにくいのかが聞きたい。。。



これまでの塚本晋也作品と比較してみて表現もかなり直接的、暗喩だらけの『六月の蛇』と比べて実に素直な描写が多い。
定番「眼に見えない恐ろしいもの」の描写として不規則にブレながら高速で移動するカメラ、って言う手法も旧作「妖怪ハンターヒルコ」「鉄男」の時代からの常套手段だし(ルーツは「死霊のはらわた」でネクロノミコンを読み上げた件のカメラワークか)塚本晋也のキレっぷりとか、骨格の歪みきった血まみれの怪物とか、残酷描写とか相変わらずお馴染み。


相手の意識に入り込む、って言うと個人的には夢枕獏サイコダイバー」シリーズを思い浮かべたりするんだけど、こちらはもっと直接的で解りやすい描写。
夢の中も現実と同じリアリティで世界が描かれてる。


塚本晋也は昏睡状態の中、被害者と携帯電話で連絡を取り、夢の中で被害者を殺害する。
「どこからが夢でどこからが現実か」なんていうモノは、どうでも良い部分で「夢と現実の境界が解りづら」かろうが絶対的に「殺害犯と被害者」という関係性は変わらないし、夢の世界で殺す犯人も変わらない。
現実的で無いとかそんな文句は「エルム街の悪夢」に言えばいい。
極端に言えば「携帯で塚本晋也と話す部分は総て夢の中」としてもなんの不都合も無いし、「キャッチした」という部分からでも構わないし、「キャッチしたと言われた後で眠りについてから夢を見ると..」でも構わない。
大筋に何の影響も無い。


夢と現実の境界、なんてこの作品には必要の無い部分で、だからこそ描かれてない。
夢と現実は地続きに続いてる。
概ね、人が眠りに落ちて夢を見始め「ここからが夢だ」と意識はしないし、眠りから覚める時「ここで夢が覚める」と自覚はしない。
目が覚めてから「あぁ、あれは夢だったのか」と思うのが大概。
夢と現実の曖昧な境界。
不確定性原理的な「人が認識する事でそこに世界は存在する」と言う考え方をすれば、夢の中もまた一つの世界であると言えるだろうし、そこで通常他者と触れ合う事の無い夢が、他者と触れ合って、幼い頃のトラウマによって苦しめられ「自分を殺したい」と言う願望を果たせないまま、昏睡状態で生き続けなければならない塚本晋也が、充分生きてる癖に「死にたい」とか言ってる他者に対して殺意を抱いて殺す、と言う動機付けは真っ当。


役者陣をとりあげるとhitomiの演技のどーしようもなさはビジュアル優先のキャスティングなんだか。。
アフレコのせいでより一層駄目さが強調されちゃって、意図はあったのかも知れないけどよく解らない。
現実の夢との境界なんてどうでも良いけど、あのキャスティングの理由は非常に気になる。
エンディングがフジファブリック...日和ったか、塚本。