生きてるだけで、愛/本谷有希子 2006


生きてるだけで、愛

あんたが別れたかったら別れてもいいけど、
あたしはさ、あたしとは別れられないんだよね一生。
いいなあ津奈木。
あたしと別れられていいなあ


『あたし』は鬱病で、時折発作のように閉じこもって部屋から出無くなる。
三年前、コンパで出会ったばかりの津奈木の部屋に転がりこんで、そのまま今に至る。
津奈木は編集長に昇格し、殆ど部屋にも居なくって、『あたし』は独りでこたつに潜り込んで、お花畑を想像したりしながら現実を忘れて、外は雨が降って死にたくなる気分になるのを忘れようとする。
ある時、津奈木の元彼女だとか言う女に連れ出され悪意の集中砲火、ストーカーまがいの行為をされ、あげく流れで『出て行く為の資金』稼ぎにイタリアンレストランでバイトをさせられる事になった。


劇団、本谷有希子』の主催、舞台作家、演出家、小説家 本谷有希子の長編小説。
長編『生きてるだけで、愛』と書き下ろし短編『あの明け方の』の二編。
表紙は作品内にも出て来る北斎の『神奈川沖浪裏』をイメージした感じ。

『生きてるだけで、愛』は、引きこもりで鬱病で、生きるのに不器用で、刹那的に生きる女性の感情や心理を主観的に、口語体でいわゆる『舞城王太郎』的なオフビートな語り口で、妄想、連想、感情ごちゃまぜに語りまくる内容で、舞城と比べてみれば『すっとんだ』加減では舞城に軍配。
阿修羅ガール』っぽいって言うか。
まぁ言ってしまえば、作品内で起こる事って言えば『引きこもってるうちにストーカーみたいに嫌がらせされてバイトを始める』ってだけの話で、別に大事件が起こる訳でも、人生の転機でも無く、大怪獣が暴れる訳でも、実は現実がバーチャルリアリティな訳でも、総理大臣の暗殺事件に関わる訳でもない。
ごく普通に日常で、ただそれが内省的で自己言及的な描写が多く、少々自滅的で、自己責任でハードになってて、それでもやっぱり生きて行くってお話になってる。
だからこそこういう小説ってのは細かい言葉の選び方とか、描写とか、イマジネーションの使い方にセンスが出て、
例えば、北斎富嶽三十六景『神奈川沖の浪裏』を、

きっと「ザッパーン!」の瞬間は北斎にとって脳細胞がしびれるくらい強烈な刺激だったのだ。ドーパミンとかがドバドバあふれてきちゃって、本当なら見えるはずのない光景がビガーッと脳裏に焼き付いたに違いない。

『ザッパーン!』に『ドバドバ』に『ビガーッ』っていう言葉の選び方は非常に直感的でイマジネーションそのままを描いている。
変にこびる事も正確さを選ぶ訳でも、誤解も恐れず『笑福亭鶴瓶』的に『直感的でストレートに入って来る擬音語』で描いたりしてみせる。

もし漫画にするなら間違いなく『よしもとよしとも』なダウナーでローファイな感覚。
生きるって、ただそれだけの事がとても大変な、苦心惨憺な愛情物語。
理解されたい、されない、寂しい、でも誰かに理解して欲しいなんて思わないし、干渉されたく無い。でも、寂しいし独りで生きていたくは無い。全部を誰かに理解してもらうなんて無理な事、でも誰かに理解されたい。
マイナーなセンス感と言い個人的にはかなり面白い。
あー、この主人公にシンパシー感じれるオレってやっぱりダメだなぁ、って思ったw
昔から大槻ケンヂとかさ、ダメ人間にシンパシーを感じるんすよね。

『あの明け方の』もテーマ的には同じ。
ただ鬱でもなく、ちょっとした齟齬からすれ違う、女性のプチ家出を描いた掌編。