ぜつぼう/本谷有希子 2006


ぜつぼう



『ピロチキ』と言うロシア人との漫才コンビで、アポ無し取材が売りのテレビ番組の『ロシア人の鼻は本当に高いのか計りに行く二人』企画でに抜擢され、一躍有名人となり日本中にブームを巻き起こした戸越。しかし番組は終わり、相方にも逃げられ、芸能界にしがみつこうとあがいても報われず、今や道を歩けば指を指され陰でクスクス笑われる『あの人は今』
そんな境遇のせいか戸越は不眠症になり全く熟睡出来ずに余計に精神状態を悪くしていた。

病院の帰りふと立ち寄った公園のホームレスに『番組のプロデューサーに復讐すればきっと眠れる筈』だと言われ、戸越はなぜか田舎でホームレスが復讐の準備を整えるのを待つ事になった。しかしホームレスの家で待っていたのは見知らぬ『シズミ』と名乗る女性だった。



本谷有希子の長編。
『猿岩石』を意識したような主人公。
ブームが去り、忘れられるどころか見下され、飽きられ、世間を拒否し、それでも寂しさや温もりを求めてる戸越は『ハリネズミのジレンマ』に陥っている。
理解されたい、でもされない、信じていたものに裏切られ、傷つき内にこもってしまう、って流れは『生きてるだけで、愛』でも描かれた事で、本谷はこのテーマが好きらしい。
こういう構造って実は『失恋』に近い。
つまり戸越は世間に『失恋した』って事になるだろうか。

生きるだけ、ただそれだけがとても大変で、誰かに理解されたり、話したり、接触したりする事がとても難しい、と言う生き方はとても不器用。メールやメッセージを送ったまま返事が無い事をクヨクヨ独り考えてみたり、だからと言ってそれを考えている事を相手には悟られたくは無いし、自分の事を理解してほしいんだけど、誰かに詮索されたり、心に踏み込まれたくは無い。
少しでも理解して欲しい、もっと理解して欲しい、全部理解して欲しい。でも傷つきたく無い、最初から求めなければ傷つく事も無い、独りは良い、独りで良い。
始めから独りで居れば傷つく事も無い。
これから先も、もう二度と。

明らかに『戸越』にとっての『誰も戸越の事を知らない』村はトラウマに塩を擦り込み続ける都会とは逆の『モラトリアム』として働き、同じ空間を共にする『シズミ』は戸越の心を癒す装置となって作動する。しかし戸越は踏み込まない、踏み込めない。それほどまでに戸越の心は傷つき、村のモラトリアムもいつの間にか『村』の存在ではなく『シズミ』こそがモラトリアムとして存在していたものが、全て虚構であった事を知り、最終的には全てを拒絶する。

こういうオチは個人的に好み。
生っちょろい愛だの恋だの、グダグダ使い古された薄っぺらな言葉を振り回す浅薄な作品よりも『拒絶する』事によって至った『ぜつぼう』をこそ最後に持って来る辺、かなり良質。

表紙は黒田硫黄が書いてるんだそうだ。ほぉ。