乱暴と待機/本谷有希子 2008


乱暴と待機 (ダ・ヴィンチブックス)

四年近くもの間、二段ベッドが置かれた六畳間ひとつの古く陰気な借家で同居している三十歳間近の“兄”こと英則と、“妹”、奈々瀬。
奈々瀬は上下灰色のスェットにだて眼鏡姿で家に籠もり「あの日」から笑顔を見せなくなった英則のために日々“笑い”のネタを考えている。
保健所で犬の殺処分の仕事をしている英則は一年前、天井板の一角に隙間を発見したのをきっかけに、帰宅後、屋根裏に潜り込んでは“妹”を覗く、という行為を繰り返しているのだった。


劇団、本谷有希子で上演された舞台「乱暴と待機」の小説。
本谷お馴染みのコミュニケーション不全症の人々の織りなすドラマツルギー


自意識。
自分が誰かに見られたいと言う気持ち。
誰かに思われたいと思う気持ち。
誰かに大切にされたいと思う気持ち。
誰かにとって無くてはならない存在でありたいと思う気持ち。


コミュニケーションを巧くとれず、イジメにあい自身のレゾンデートルすら疑う奈々瀬の前に復讐を口に現れた英則という存在は、例えそれがネガティブな復讐という動機であれ、『自分が無くてはならない存在である』と唯一認めてくれた相手として存在する。


既に動機すら無く自動化された復讐というシステム。
そのシステムが英則と奈々瀬という二人のコミュニティを構築し、例え歪んでいても『愛情』よりも余程安定して永続的な関係性を継続させる装置として機能して来た。システムの実際が機能的である必要は無く、システムの実が空であったとしてもそれは関係無く、虚構であれ復讐する者とされる者という名義さえあればそれは成立する。
そして物語はそのコミュニティの不安定さに、外的要因が加わり瓦解する過程が描かれる訳ですが。。

確かにここで描かれる関係性は本当の『兄/妹』では無く、『恋人』でも無く、『復讐する者/復讐される者』という非常にネガティブで後ろ向きな関係性ではあるけれども、不安定で非確実に現在〜未来に関係性の確実さを求める『愛』や『友情』よりも、『復讐する者/復讐される者』に於ける関係性は余程普遍な『過去の原因』であって、そういう意味性では『産まれおちた』ところに関係性の原因がある『家族』により近い関係性と言える。

英則は家族を失い、奈々瀬は家族に辟易しだからと言って他人との関係を築けず、だからこそ過去にその原因を持つ『復讐』の関係性に身を浸す。
誰も信じられず、誰も自分の事を思ってくれない、必要としてくれない。
しかし『復讐する者/復讐される者』という関係性は確実で普遍で絶対的で。
例え関係性がネガティブであろうが、ポジティブな不確定より余程良い。

すべてが仕組まれ、周知であり、絵空事と嘘で構築された危うい関係性と、それを維持し依存しなければならない脆弱なパーソナリティ。
『愛情』が健全、なんてまったくもって嘘。
『愛』なんて言葉面はどうだって良い。
結局は、実際的/永続的に誰かに強く思われ、必要とされるか。
そこに集約されてしまう。


でもそれは、とてもとても難しい。