氷菓/米澤穂信 2001


氷菓 (角川スニーカー文庫)


『きっと十年後、この毎日の事を惜しまない』


「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことは手短に、だ」をモットーにする高校生折木奉太郎
省エネに高校生活を送る筈だった彼の元に届いた姉の手紙に依って、彼は廃部寸前の『古典部』に入部する事になる。活動目的がある訳でも無い『古典部』で、のんびりプライベートタイムを過ごす予定がいつの間にやら身辺に現れる小さな『謎』を解決する羽目になって....。


日常の謎』系ミステリ、ってジャンルがあるんだか解らないけども、そういうミステリがある。
代表的なものと言えば先鞭をつけた北村薫氏の『私と円紫師匠』シリーズとか、倉知淳氏の『猫丸先輩』シリーズだったりとか加納朋子はやみねかおるとか最近では様々な作家が書くようになって来た。

凄惨な殺人事件だったりとか大掛かりな密室トリックだったりとかでは無く、身近な、すぐそこで今起こってもおかしくないような、それでいて不思議な謎。


日常の延長線上にあって、違和感のある日常中の異物。


そういうものを主力とするミステリーにとってはミステリーの謎そのものやトリックだったりとかよりも、重要なのは『その謎から派生した』メッセージであったりとかの総体的な魅力に尽きるんだと思う。

そういう点で北村薫の諸作は優れているし、実際評価もされている(勿論トリックもよく出来てるし魅力的だけれども)。
センセーショナルでない小さな『日常』の些細な異物、すれ違い、勘違い。
そういったものを主眼に据えるには、規模の小ささに反比例してそれなりの作品の『質』が問われる。
だからこそ細やかな、繊細な感性で書かれた作品の方が優れている事になる。


冒頭の『ベナレスからの手紙』は海外本格ミステリの古典(あくまでメタミス界での名作ですが)T・S・ストリブリングの「ベナレスへの道」からの引用でしょうね*1
でなかったら敢えて『ベナレス』である必然性が無いし。
まぁ余談。

で、古典部での主人公のニヒリズムとそれを破る謎との日々に入って行く訳ですが、正直謎そのものは非常に地味。

小さな謎を解いて、展開も小さい、のでは当然ながら最後、読者にもたらされるカタルシスも小さい(同著者別シリーズの『春期限定いちごタルト事件』もそうなんだが、あれはキャラが立ってるから謎の小ささを許容出来る)。
で、幾つものそういう小さな『事件』が連なって、結果一つの大きな最後のオチに持って行くって言う連作短編な作りはそこそこ結構見かける。
特にとんでもなく良い、って事でもない。

ただ、この作品を特筆するとしたら古典部の文集『氷菓』のタイトルのI Screamが与える一行のインパクト、に尽きると思う。


例えば我孫子武丸著『殺戮にいたる病』や、ロス・マクドナルド著『さむけ(原題 The Chill)』なんかの物語全体で引き絞った力が終盤一気に発散される『一行のインパクト』って点で、挙げた二つの作品にこの作品は勿論敵わない。

しかし連作短編としての作品を幾つも連ね、少しずつ意味を積み上げて最後に表題のこの『一行』を持ってきた、って点でこの作品は素晴らしいと思う。
表題って事はそれは『常にそこに示されていた言葉』だった訳で、それを大オチに持ってきた(しかもきちんとインパクトもカタルシスもある。明かされた後に見える風景も違う)って言うのはそれだけでも評価していいんじゃないだろうか。


青春ミステリ、という点ではルサンチマンも無くあまり青春では無いし、各キャラが個性的に主張して『立って』いる訳でも無い。
でも、なんだか気になる、地味なんだけどちょっと奇妙な味わいの小品の佳作。

*1:世界探偵小説全集『カリブ諸島の手がかり』に収蔵