谷仮面/柴田ヨクサル 1992-96

俺が島さんを一番絶対好きなんだ!!!!


かなり久々に読み返してみた。

なぜか仮面を付けたまま高校生活を送る主人公『谷』を中心に、喧嘩あり、恋愛あり、コメディあり、喧嘩あり、スポーツ編があったり、喧嘩あり、友情あり、最終的にはクローズな「不良高統一」イベントも登場する青春熱血喧嘩漫画。



今さら見返すとやっぱりエアマスターに繋がるタームも多いし、シズナマンや皆口由紀なんかが登場したり、巻末のヨクサル書き下ろしの漫画にも「少女時代の相川摩季(エアマスター) vs 谷」なんていうおまけがあったりするところから見て、同じ世界観の中のお話って事になってるらしい。
エアマスターの原型になったんだろう皆口美紀とか、新撰高校の忍者軍団は尾形小路(深道ランキング5位)の原型だったり、谷のデタラメな強さ+恋に一途で突っ走るキャラクターって坂本ジュリエッタの原型になってる。
...以上、エアマスターを知らないと何一つ解らないジャーゴニズム。


谷仮面の仮面ってのは解り易すぎるくらい解り易い「ATフィールドは心の壁」な表層的人格....ペルソナを示す暗喩的な象徴だろうし、それは幼稚園児の谷が「我々はどこから来てどこへ行くのか」と己のレゾンデートルを求めた結果、他人のと拒絶を選択し仮面を付けた方が落ち着くと結論付け、自ら仮面を付けて生きる事で、他者(現実世界)との精神的な折り合いをつけ、しかし仮面の覗き穴から見えるヒロイン「島さん」の姿に心動かされ、それはまるで競馬馬が視線を遮られ前に真っすぐ走るように「島さん」に対して真っすぐな純愛を持ち続けるキャラクターを成立させる、と言うのはキャラクターの成り立ちからして順等。
そして最終的に「島さん」と谷は結ばれる事によって人は人に会うために生まれると谷は己のレゾンデートルに対して答えを出し、仮面は必要無くなり、谷は世界と向き合い生きてゆく事になる、という成長物語になっている。
勿論そんな答えは若すぎるんだけども、それでもこのモラトリアムな作品世界ではそれが成立する。


当然、仮面=顔が見えない相手に恋すると言う島の行動は男は顔じゃなくて心が真っすぐであれば、高嶺の花の女の子だって振り向いてくれるっていうD.T.幻想も盛り込まれている。実際世界ではそんなことは全く無いんだけど。。。
まぁ、仮面が割れて谷の素顔が美形だった、ってのは、あそこで素顔が不細工ではどうしようも無い訳で。
あとは「仮面が割れるのが最終話で、谷の素顔は謎のまま」と言う話の展開もあったかも知れないけれども。
キン肉マン的な。


格闘描写に関してはエアマスターの方が当然熟達しているし、動きに関しても谷仮面でのコマ割の描写が「始まり→結果」であるのに対して、エアマスターでは「始まり→過程→結果」という順を追う描写がなされている分、速度は落ちるが、結果に関する描写の書き込みとディテールがそれを補う。
谷仮面での若描きな、勢い任せの描写も、動きの感じられない止め画のような動作シーンも、それを補うような島本イズムな熱血純愛ストーリーが下支えする。
とはいえ1992年から96年の四年間にかけて長期連載された作品だけあって、後半の描写は上達している。
ディフォルメも大胆に、過剰になって行き、前半CかDカップくらいだった島さんの胸も、後半は桁違いな巨乳となり強調されて行って、かくて巨乳キャラは遺伝し
島さん→中ノ谷美奈(バスト105cm)ハチワンダイバーの中静そよメイド巨乳
へと繋がって行く事になる。

下らないし、面白いし、真っすぐで、若くて青臭いかも知れないけども、こういう判りやすくって愚直な作品は個人的に大好きです。