シンプルノットローファー/衿沢世衣子 2009

20090605090442

白いほこりの道にできた
八角形の日がさの影は
ふじ色とだいだい色をまぜたような色を
していました

高野文子「絶対安全剃刀/玄関」より

人生ってのはドラマティックじゃない。
その大半は「なんとなく過ぎていく日常」で、その積み重ねに日々は流れ過ぎていく。
フラットで、なんて事はない小さな出来事。
事件は起こらないし人に話すまでもなく、数日も経てば忘れてしまって、数年後に「そう言えばあんな事があったなぁ」なんて思い出すかも知れない心の片隅に残ってる人生の欠片。



高野文子以降の「日常」作品を描く作家。
黒田硫黄小田扉志村貴子なんかが頭に浮かぶけど、その中で衿沢世衣子はかなり寡作な部類(高野文子は30年で6冊だけど)。
「おかえりピアニカ」が2005年だから、4年で三作って事になる。
寡作だが毎回レベルが非常に高い。
そんな衿沢世衣子が「サブカル」クイック・ジャパン紙上に「天心モナカ」のタイトルで連載していた作品を改題したのがこれ。
衿沢世衣子初めての連載作品でもある。
しみじみ思うが、こういう作品を知って、読んでいるって事は幸せな事なんだろうと思う。
知らないままより、少しだけ幸せ。


女性のマンガ家は、どうしてもマンガ文法が少女マンガ的になってしまう人が多い。
しかし衿沢世衣子の場合は、カラス口で描いたような太い線でコマ割りはかっちり。
トリッキーなコマ使いやモノローグ、ベタベタ重ねるトーン張りも見られないその作風はオーソドックスな少年漫画。


内面的な描写に主眼を置いてモノローグで大雑把に処理するのが少女マンガで、少年マンガは内的な部分よりも外的な、物理面の描写をメインに据えて表現する。
だから少女マンガでは「精神世界」の描写が中心になる為に背景画が省略され、べた塗り/トーン張りや空白のコマにモノローグだけが入ったり、日常空間からの乖離を意味する特殊なコマ割り(枠線が存在しなかったり、多重に重ねてみせたり)を行いその「精神世界の描写」に傾倒する。
少年マンガは外的世界を重視する為、枠線にきっちり収め、背景も緻密に書き込み、内面描写のモノローグよりもセリフで処理しようとする。
それにブンガク的な匂いや、何も無いが何か有る「間」を使ってさらに表現するのが高野文子とか志村貴子黒田硫黄と言ったところか。
絵柄は高野文子的なざっくりしたフリーハンドなんだけれども(凧揚げの町並みのカットも全てフリーハンドで描かれている)、正直高野文子みたいな絵の巧さは無い。
ま、高野文子は別格だから。天才だし。
志村貴子も巧いが。。高野文子とは違うんだな、これが。
キャラの書き分けもなかなかキビシいが、これだけシンプルな線でこの数のキャラを処理しきったのは見事。


実にガーリーな作品。
まず「prologue」で全キャラクターを見切れさせるやり方は個人的には映画「リンダリンダリンダ」の冒頭シーンを思わせる。
1つのシークエンスで脇役だった少女らが、以降の話で主人公として描かれる。
誰しもそれぞれの人生があって、当人には自分こそ主人公で誰も脇役じゃない。
各話の扉画でべた塗りをバックに、その話の主人公格にあたる少女とタイトルが描かれ、話が始まる。


p114の押し入れから雪崩起こして落ちてくる荷物を見ると面白い。
オセロゲームの箱には「オセロ」って書かれ、きちんと箱の横には「Othello」なんて英語表記にされてる細かさなのに、そこに被ってる影線の雑な事。
「オセロ」って書いてあるから「これはオセロです」っていう処理がスゴいが。。。
雑なんだか細かいんだか。
スーファミ、ランドセル、ヨーヨー、フルート、マジカルステッキ、コロコロコミック、ハーモニカにお菓子缶、人生ゲーム。
p127にはティファールのポット、注ぐ水はヴォルビック。
細かいディテールになんてこだわってなさそうな描線なのにやけにきちんと書き込んであったり、そー言うのも面白い。


chp4「リズム」のメアリーの歌なんて「ボエーーー」ですからね。
ジャイアンと一緒って事で処理。
ものすごく解りやすいし、スゴいざっくりしてる。
メアリーのお兄ちゃんの描線も崩れまくってるし。
でも手を抜いてるわけじゃなくって、録音機材に使ってるPCはMacだって解るし、機材の書き込みも細かい。
p85の左から二番目のコマのメアリーの手なんてカッパみたいに指も分かれてない。
でも、それで充分。
そんな事は作品のキズにならない。
描くべきものが描いてあれば、それで良い。
そういう割り切りだと思う。


ゆるーくて、なにか起こりそうで起こらない。
人生を変えるような大きな出来事ではないかも知れないし、人生を変えてしまった瞬間かも知れない。
描かれるのはクラブ活動がメインで、学校って言う「授業」を受ける為の場所で、しかしそれはほとんど描かれない。
人生には、授業で学ぶ事よりクラブ活動で「体験」する事の方がより深く刻まれる。
「先生たちはボクを不安にするけどそれほど大切な言葉は無かった*1」はやっぱり真理だろう。


描かれるのは春夏秋冬春夏の学園生活。
行方不明の蛇、魔球のように唸るロケット、妻の命日に妻の格好をして街を歩く教師。
卒業した後で学校は改築されて思い出の学校はその形を変えて、思い出の場所は無くなってしまう事もある。
すべて変わっていくし、だからその1つ1つはとても大事なもので大切な時間。
廊下、階段、教室、プール。
風に揺れる制服、ずぶ濡れのローファー。


凧をあげるのに夢中になって凧糸を探して、凧をあげるのに屋上に上がったら風が気持ち良くって。
あがっていく凧が清々しくて、気付いたら凧糸を持ってなかった、なんてドジも少女時代の日常の一コマ。
でも数十年後、自分の子供が凧揚げしているのを見てそれを思い出すかも知れない。
自分の孫が凧揚げしているのを見てそれを思い出すかも知れない。
青春なんて言葉は青春を終えてから思い返して初めて「あれが青春だったんだな」って思い返すもの。
でも、今はただそれだけの日常。


*1:ザ・ブルーハーツ「少年の歌」