【舞台】神様とその他の変種

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神様にお願い もしもちゃんといるなら
世の中に平和を もうちょっとください
神様よいるなら 星も土地も命も
あんたの血をひいた雑種と変種だ
過剰なるもの 不足なるもの
デキソコナイが神を出し抜く
ほら届かない 神様の華奢な短い腕じゃ
僕らの場所には
(ケラ&ザ・シンセサイザーズ「神様とその他の変種」より 歌詞抜粋)


NHK-BS2のを録画しといたナイロン100℃ 33rd SESSION「神様とその他の変種」を観終わった。
意外と時間がかかったけども。


写真の真ん中に佇むゾウ。
サルでもブタでもライオンでもなくゾウ。
このゾウってのはやっぱりインドで「神様の御遣い」とされてるから敢えて「ゾウ」なんだろうなぁ、と思う。
これは神様についてのお話だから。


冒頭、ホームレスの格好をした男(廣川三憲)が、自分が「神様」だと名乗りを上げる。
そして超越的な視点で観客に向けて「これからこの舞台の上で芝居が始まる」と解説する。
このホームレスは物語の中に居るが中には居ない。
だから物語の外から舞台の上の出来事を「芝居」として観客に語るし、舞台の上から観客が見えている。
他の登場人物には観客は見えていないし、物語の外には居ない。
ホームレスは「誰もが神様だ」と語り、続いて出て来た家庭教師(水野美紀)を指して「この人も神様だ」と言う。
誰しもが、みんな神様。
だとしたら神様とは一体なんだろうか。


イジメに合い不登校になっている少年(みのすけ)。
その両親と次々消える周囲の人間。
そこへやって来る記憶喪失の女家庭教師。
少年を中心に様々な人間の悪意や狂気が入り乱れる、って趣向。
ナイロンの芝居、というかケラの芝居にはいつも「悪意」と「狂気」が色濃く匂う。
しかしこの舞台が進むに従って明らかになって行く血の匂いがある一点を過ぎた時、急速に薄れ死人すら出さずに終わりを迎える。
それはこれが「救い」の物語だからだろうと思った。


ナイロンの役者陣は相変わらずの安定っぷりだし、水野美紀も負けじと演じる。
きちんと笑わせるところは笑わせるし、ゾッとさせるところはきちんと怖気を走らせる。
オープニングの演出も見事だし、相変わらずロックなテイスト。


「神様」って言うのは、人の心を安定させる為のシステムだろう。
不安定な人と言う生き物の心を「神様」は時に罰し、時には律し、時には許す。
しかし物語の外から、世界の外から人間を見下す「神様」を頼らず物語の中の人間たちは救われる。
少年の寝顔によって、お互いがエゴを捨て許し合う事によって。
だから最後、人を見下し、物語の外から我知らぬ顔で眺め、最後の最後になって美味しいところを取ろうとする自称「神様」は排除され舞台を去り、地を這いずり生きる「神の子」であり「神様の変種」である「人間」の上に雨は降る。
「神様」の居る屋外ではなく「神様」たちの上に、部屋の中に恵の雨は降る。
「デキソコナイが神を出し抜く
ほら届かない 神様の華奢な短い腕じゃ
僕らの場所には」
つまりはそう言うこと。